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バンコク炎上1:能書き

タイは、2006年のタクシン首相追放なるクーデターを発端に、政治対立が続いている。

歴代、実際に政治を主導しているのは、エリート層(官僚・軍人、特権階級の保守層)であり、地方の農民は軽視され続けた。そして主たる支配層の多くが中華系タイ人。農民のほとんどが土着民族である。さらに欧米社会では考えられない司法の判断の偏りも目立つ。

タイが政情不安定な主な理由は(インドより酷いと言われる)所得格差である。

所得課税と資産課税のバランスが著しく悪い。しかも福祉政策はお粗末だ。選挙をやっても「農民の1票」は軽い。選挙は地域有力者がカネで集票する金権選挙だ。歴代政権は利権まみれ。軍のエリート層は、国王の名の下に権力と富を拡大した。タイの政治や経済は「中華系タイ人」が握っている。

そんな中、タイの東北部チェンマイ出身の元警察官僚で中華系(客家系)タイ人のタクシンが台頭した。商才のあるタクシンは1代で財を成す。タクシンは従来の金権選挙とは異なるマニフェスト選挙戦を行い、2001年に政権をとった。

タクシンは、タクシノミックスと呼ばれるバラマキ政策を行う。

市区町村単位まで大量の公的資金を投入。各地区町村に基金を創設して低金利融資を可能にしたため、草の根の経済開発と内需拡大に成功した。医療面では30バーツ(約百円、屋台の1食分)で全ての病気を診察してもらえるようにした。かなり山奥の田舎にまで学校をつくったため、文盲率は激減した・・等々。

おそらく多くの国民が、経済的に余裕が出てくれるにつれ、「今まで権力は、なんと不平等だったのか」がわかったのだろう。

ただタクシン政権派良いことばかりではなく、不正献金・所得隠し疑惑、麻薬一掃作戦の事実上の失敗、南部イスラーム勢との対立、どさくさに紛れて政敵を抹殺したり、独断専行的な政治運営に批判的なメディアへの露骨な介入・・・支持が拡大するほど傲慢になり、反民主主義的姿勢が目立った。

そして2006年にタクシン一族が保有する会社の株売却疑惑を機に、バンコクでは首相の退陣を要求する市民集会が度々起きる。

中心になったのが「民主主義市民連合;PAD」。

支持者は都市部中間層やタクシンと対立する旧保守層、背後に王族や軍がついているとされる。これが黄色シャツ集団と呼ばれる反タクシン派である。黄色は国王の誕生曜日の色だ。国王の権威を借りたつもりだろう。

反政府派=反タクシン派(黄色)と治安部隊との衝突がおき、反タクシン派に死者が出ると、その葬儀にフミポン国王妃や王族が葬儀に参列した。以後、国民は「国王はともかく王族は反タクシン派だ」が定着する。

同年9月、民主改革評議会(ソンティ大将、サプラン大将、ルアンロート大将、コーウィット警察大将)は、タクシンが米国に外遊中、無血クーデターで全権を掌握。タクシンを追放した。

タクシンのタイ愛国党は「総選挙での買収」を理由に憲法裁判所から解党命令の判決を下された。以後、タイの司法は旧来保守層に偏った判決を連発する。 

約1年後、軍政(暫定政権)から文民政治に移行する総選挙を行う。

またもやタクシン派政権が勝ち、2008年2月にサマック内閣が発足する。これに反発した反タクシン派は、PAD=黄色シャツ集団を中心に反政府集会を繰り返し、首相府占拠へと戦術をエスカレートさせ、タクシン支持派勢力との衝突する。

彼等はサマリックのテレビ料理番組への出演を違憲行為と訴え、憲法裁判所はサマリックを失職させた。しかし後任のソムチャイ首相がタクシンの義弟とあって猛反発。今度はバンコクの2つの空港を占拠する。

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写真の出典→http://ameblo.jp/suvarnabhumi-airport/image-10201020899-10120472091.html

前後して憲法裁判所は、タクシン派連立与党(ソムチャイ政権)に対して、重大な選挙違反を理由に与党3党に解党命令を下し、幹部を政界から追放したため連立政権は崩壊した。

こうして国民に民意を問う総選挙がないまま、逆に政権を乗っ取った形で反タクシン派の民主党を与党とする連立政権が誕生。民主党党首アピシット党首が首相に就く。

反タクシン派(黄色)による空港占拠は、容疑者の訴追が未だに行われていない。2010年2月のタクシンの財産一部没収の判決も、法学者5名が連名で批判声明を出している。

タクシン派政党は、特に北部の農民の熱烈な支持を受けて3回も選挙に勝ったのに、旧保守勢力(反タクシン派)から様々な手法で引きずり降ろされた。

2009年になると、タクシン派(反政府派)は、総選挙が行われず就いたアピシット政権の退陣を求める集会をバンコクで度々行う。

中心になったのが「反独裁民主統一戦線;UDD」。支持者は都市部下位層や農民、背後に一部の軍人がついているとされる。これが赤色シャツ集団と呼ばれるタクシン派である。

まずASEAN国際会議を中止に追い込んだ。2010年2月のタクシンの財産一部没収判決を受けて、2010年3月中旬より、タクシン派(反政府派)=赤シャツは、解散・総選挙を求めてバンコクで集会を行い、これが今回のバンコク市街地占拠、そして武力衝突に続いた。

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写真の出典→http://www.thailande-fr.com/wp-content/uploads/2010/02/reds0210-18-r.jpg

だが騒乱後のアピシット政権は、「国民間の経済格差の是正」を発表している。ちょと待て。

今回のデモ参加者のうち、4月上旬のソンクラーン迄に帰郷したのは「農村貧困層」だったが、ソンクラーン以降もデモ参加したのは「都市部に住む下位層/農村部の中間層」とされる。

つまり今回の騒乱でタクシン派(赤)は、「政治的な不平等」を問題にしているのであって、「経済的な不平等」を問題にしているのではない。ダメだな、アピシット。彼は経済バカであって、政治的手腕はない。

今回の動乱では、王室は沈黙を守っている。


タクシン派は、農民の支持を受けて3回も総選挙に勝ったのに、旧保守勢力から様々な手法で引きずり降ろされた。

いま総選挙をやれば、やはりタクシン派政党(赤)が勝つと言われている。政権与党(黄)は選挙をやりたくない。

選挙結果を受け入れないタイの特異な民主主義。

タクシン派も反タクシン派も主張は議会ではなく、路上で行った。出来るだけ早く総選挙を行い、民意(特に地方の声)を政治につなげないと(議会政治の成熟)、この国は修復できないだろう。

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